羽田の鳥居

終戦直後の昭和20年9月21日、進駐軍はこの付近に軍用飛行場を建設するとして、住民に48時間以内に退去するよう命じた。
この時、穴守神社本体は現在地に引っ越し、鳥居も多数米軍の手により破壊されたが、なぜか参道の三の鳥居だけが旧地に取り残された。

というのもこの鳥居の撤去の際に不幸な出来事が続いたためであった。

第2次大戦後、GHQはこの付近に軍用飛行場を建設するとして、住民へは退去を命じ、鳥居は次々と取り壊されていった。

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