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2014年12月

普段霊感ゼロの俺が冴えてた日の話。

遠方に住んでる5年来の友達Yが、1週間ほど俺のアパートに泊まりに来てた。
毎晩騒いで楽しい1週間だったんだけど、ついに彼が帰る日になってしまった。

Yとは1年に1度会えるかどうかなので、「また寂しくなるな」なんて思いながら、彼が帰る準備をする様子を見ていた。

するとYは突然、「やべぇ、カバンが壊れた!」と言い出した。
Yの鞄はファスナーで開け閉めするタイプだったんだけど、見ると、噛み合わせが悪いわけでもないのに開かなくなってしまっていた。
Yが力ずくでファスナーを引っ張ってみても、ビクともしない。

その間にもYが乗るバスの時間が迫ってきていたが、俺は「これでバスに乗り遅れれば、Yの滞在期間が延びるかも!」と、ちょっと期待してしまった。

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俺の祖父さんが話してくれた話。
なんとなく思い出したから書いておく。

名前が清治ってとこから、清じい、清じい、と呼んでいた俺に、清じいは一度だけ奇妙な話をしてくれた。
数年前に亡くなるまで、こんな話をしてくれたのは後にも先にも一度だけだった。

清じいには小さい頃(確か7~8歳)に病気で亡くなった2つ上の兄貴が居た。
当時、重い病気で余命わずかだった兄貴を俺から曾祖父さんにあたる清じいの親父は、最期は自分の家で、と言って自宅で看病していたらしい。

清じいは、兄貴がいよいよやばくなるまでは兄貴の部屋で一緒に遊んでいたらしいが、死期が迫った頃には親父が部屋に入れてくれなくなったと言っていた。

そしてある日の夜、兄貴は亡くなってしまった。

季節は夏で・・・もちろん冷房なんてない。
遺体が傷むのを嫌った曽祖父は、最寄りの祭儀場まで兄貴を運ぶことにした。

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今から2年ぐらい前の話。

お昼近くにモス○ーズバーガーが無性に食べたくなって、自転車でモスに行こうとしてた。
もう少しでモスというところで、左折してきた普通車に自転車ごと轢かれた。

色々打撲擦り傷とかあったんだけど、左足がボキっておれてしまって、市内の大きな病院に入院することになった。
圧倒的な力に体を壊されるってこういうことなんだと思いながら、処置が終わった足を眺めつつベッドでぐったりしてた。

病室は個室で、比較的新しい病院だからとっても綺麗でベッドで寝てても可動式の小さいモニターのTVが目の前に伸ばせたりするので、ちょっと感動してた。
そんな時にお母さんとお父さんがあわてて病室に来て、「なにやってんの!」と怒られて頭をお母さんに殴られた。

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これは私が幼稚園の年長(?)から小学校低学年の頃に体験した話です。

幼稚園年長(多分)の頃のある夜、母にそっと起こされ、着替えさせられて車に乗せられた。
車は見た事も無いような暗い裏道を通り、何処かへ向っていく。
小声で「何処へ行くの」と尋ねると、母は「セミナーへ行くのよ」と呟いた。

暫く走った後、そこに着いた。
建物の玄関には、薄ぼんやりとした明かりを放つランプが置かれていて、中には明かり一つ無く、幼い私は何となく恐怖を覚えた。

私はそこで色々変な体験をすることになる。

そこではまず最初に親と別れ、暗室の中で他の数人の子供と一緒に映像を見せられた。
目が一つの女性の顔(コラ?)が飛び交っていたり、ひたすらうねっている青い画面だったり、動物の顔で人間の体の人(コラ?)が歩いていたり、そういう感じの映像だったと思う。
私も他の子供も、怖がることも騒ぐこともなく静かに見ていた。

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1872年11月5日、マリー・セレスト号という二本マストのアメリカ船が、原料アルコールを積んで、ニューヨークからイタリアのジェノバに向けて出港した。
この船に乗っていたのは、ベンジャミン・ブリッグス船長と8人の乗員、そして、船長の妻マリー(本によってはファニー)と娘のソフィアの、総勢11人であった。

ところが、1ヵ月後の12月5日、そのマリー・セレスト号が、ポルトガルとアゾレス諸島の間の大西洋を漂流しているのが、イギリス船デイ・グラシア号に発見された。

航行している様子はなく、海上を漂っている状態だったため、何か事故が発生したのではと思い、グラチア号は、マリー・セレスト号に近づいて船を横付けにして声をかけてみたが、返事がないため、船長以下、数人の乗組員か乗り込んで、中の様子を確認することにした。

しかし、船の中には誰も見当たらなかった・・・。

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